dondonmusasabi’s diary

座右の銘は”死ぬこと以外はかすり傷” インコちゃんズや日常の健忘録的ブログ。

人との関わり方

人との関わり方って難しいと、私は感じます。

そして、人生てんぱりながら過ごしている私です。

 

自分の体験を通して思ったことがあります。

それは、

人に何か自分の思いを伝えるとき、

謙虚じゃないといけないな

って事・・。

 

当たり前ですよね。

未熟な私は、そんな事を最近身をもって思い知りました。

 

母にあるとき、急に

 

「ねぇ、なんなの?」

 

から始まって彼女の不満をぶちまけられました。

私の反応は身構えます。

攻撃されたら防御されるように、

自分(あたし)の気持ちなんてこれっぽっちも言いたくない気分です。

それどころか、言われたら言い返したい気分になるので

私も言い返しました。

そして、何も解決もしないし

お互い嫌な気持ちだけ残るんです。

 

しばらく考えました。

そして、ちょうど聖書の学びに出た時の

先生の言葉がつきささりました。

But encourage one another daily, as long as it is called ”Today," so that none of you may be hardened by sin's decetifulness-Hebrews 3:13

日本語訳はこうなっています。

「きょう」と言われている間に、日々互いに励ましあって、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。 へブル 3章13節

 

かたくな、という意味が分からなくて聞くと

つまり頑固になってはいけない、ってことだそうです。

それを聞いて、

母に謝ろうと思いました。

 

母に責められて、

私も言い返して、

終わりのない負のループ。

どっちも相手が悪いって思ってる。

私が、でもねあなたはこうでしょう?そこが悪いのよ。

なんて言えば、相手だって黙ってませんよね。

もし相手に悪いことしたな・・という気持ちがあっても

謝る気持ちなんて失せて行くと思います。

 

実際、私も母に対して悪いな・・

と思う部分があっても

責めれた後は、そんな悪いな・・って気持ち吹っ飛んでましたし。

 

謝ろうと思って、すんなり出来たわけじゃないんです。

そこには葛藤があるんですよね。

なんで、私が謝らなきゃいけないんだろう。

あそこまで言われて私が謝るの?

とかね。

かたくなになってますね。

 

でも、聖書の言葉のかたくなになってはいけない、っていう言葉と

先生に

「先生、かたくなになってしまって、それができない時はどうすればいいですか?」

と聞いた時に

「祈ってください。かたくなにならずに、素直な自分になれるように。」

と言われた言葉が胸の中にずっとありました。

 

葛藤があって、

祈って、

また葛藤して

祈って

 

でも最後には

私はクリスチャンで、私が謝ることが正しい。って思って

謝りました。

 

なるべく感情的にならずに

自分が不出来で、

母の気持ちを考えてあげられず申し訳なかった

そういう事を話したと思います。

 

すると、しばらくすると母のほうからも

わたしに話しかけてきて私の気持ちを理解してくれるような言葉を言いました。

 

小さいころから

「どうしたの?だいじょうぶ?何かあった?」

とか、親から聞かれた事ってありませんでした。

あんまり、そういう事に無頓着な家族だったのかな。

黙視、怒られるか、放っておけば元に戻るよね

そんな感じだったかな。

 

 

でも、

誰かが何かいつもとちがうな?

何かあったのかな?

っていう時

 

ねぇ、なんなの!

 

なんて言われたら、速攻でその相手から逃げたくなります。

そういう時は、

相手に対して謙虚な気持ちで

「なにかあったの?」

って聞ける自分でありたいです。

 

そうしたら、

相手も、実はね・・・って話気持ちになるかもしれない。

話す気持ちにはならなかったとしても、

聞いてきた相手に対して身構えることはないと思います。

 

そんな普通だったら、幼少期に学ぶような大事なことを

最近身をもって知りました、という話。

 

いつでも全ての事に感謝して謙虚でいられる自分でいたいです。