dondonmusasabi’s diary

座右の銘は”死ぬこと以外はかすり傷” インコちゃんズや日常の健忘録的ブログ。

主に委ねる

もうあっとゆーまに1月も中旬になりますね。

 

教会では聖書の学びというのがあるのですが、

今、週に2回ほど参加させてもらっていて

教会の姉妹と一緒に聖書の勉強をします。

 

聖書は言葉も難しかったり

時代とイスラエルの背景なども詳しくないと

深く理解できなかったりします。

 

家で一人で聖書を読むのとは違って、

分からなければ先生に質問できて

姉妹との交わりながら御言葉に触れることが出来るし、

とても大切な時間です。

 

でも、今までの私は学校が始まると

自分の勉強の事で、てんてこ舞いになり

日曜日の礼拝でさえ、顔を出さずにいた時もありました。

 

勉強が大変だったのは確かです。

精神的にも追い込まれました。

毎日クラスと実習、テスト勉強にあけくれて

少しの時間があるなら眠りたい。

礼拝にも出たいけど、行けない。

だって、今は勉強しないとダメだから!

勉強しなかったら落ちる!

って思っていました。

(落ちたんですけどね)

 

自分でなんとかしないといけない。

って思ってました。

頑張って、自分で突破しないと!って。

そして、その結果、落ちました。

数パーセント足りなくて落第。

 

 

ずっと、なんとなく考えていたんですけど

今日の聖書の学びで思ったことがありました。

 

私は、学校が忙しいことや自分の勝手な都合により

御言葉や教会から離れてしまってました。

そして、それはしょうがないじゃない?

だって今やらなかったら大変なことになるし。

って思ってたんです。

 

今回、幸いなことに私は学校に落ちたため時間に余裕ができて

聖書の学びにもたくさん参加できて、

礼拝にも姉妹との交わりの時間にも恵まれました。

 

そのおかげで、

自分の都合と忙しさを理由に聖書と教会から遠ざかってしまった

その高慢さに気づきました。

私が礼拝に出ていない間にも、

姉妹たちは私のことを祈り続けてくれていたのです。

 

このことに気づけて本当によかったと思えたら、

学校に落ちたのは、この大切なことに気づくことじゃないかと思いました。

神様は時に私たちのために道をふさぐこともあるそうです。

道をふさいでくださったおかげで、

大切なことに気づきました。

 

牧師先生の奥さんに今日言われました。

「学校始まっても、いつも御言葉に触れて、学びにも触れてね。

 神様に全てを委ねることが大切です。」

 

忙しくて、辛いときこそイエス様がそばにいてくださることを忘れずに

御言葉に触れたいと思います。

 

We must pay the most careful attention, therefore, to what we have heard, so that we do not drift away.   - Hebrews 2:1

 

ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、

押し流されないようにしなければなりません。 へブル2章1節