dondonmusasabi’s diary

座右の銘は”死ぬこと以外はかすり傷” インコちゃんズや日常の健忘録的ブログ。

全ては偶然ではないというお話。

先週、牧師先生がメッセージでお話してくれたのですが、

全ては偶然ではないという事でした。

それは、いつも私も思うところなんです。

 

たまたま、父が読書好きで実家に沢山の本があり

たまたま、その中の本を読んでみたらとても面白くて、その作家を好きになり

その作家の本を色々読んでいるうちに彼がクリスチャンという事を知った。

彼のキリスト教について書かれている本も読むようになって

キリスト教について興味を持った。

だからといって、教会には日本で訪れたこともありませんでした。

 

アメリカでは2年の滞在予定が、そのまま住むことになりました。

息子を出産後、看護師を目指そうとカレッジに戻って必要なクラスを取って、

その時にたまたま知人を通して同じカレッジに通う、

同じく看護師を目指す今の友人を紹介してもらいました。

彼女と会ううちに、彼女がクリスチャンという事を知って

彼女の通う教会へ行ってみたくて、礼拝に通いはじめます。

そして、半年くらい通っていたでしょうか。

洗礼を受けたいと思いました。

 

この、人間的に言う”たまたま”って言うのが偶然なのかというと、

このたまたまに、何一つ偶然であるものはないと先生が言っていました。

神様のこの小さい計らいが、人間からすると、たまたま、偶然なような出来事が

次々に重なって、進むべき道へと導かれていると。

 

人間的には、

あそこの会社に入りたいだとか

あの学校へ受かりたいとか

あの人と付き合いたい、結婚したいとか

ああなりたい、こうなりたい。

そういう思いがありますが、

時には、そのように事が運ばないこともありますよね。

そんな時は、神様になぜ私の道を閉ざすのですかと落胆するのでなく

祈り、道が開かれている方向へ進めばよいそうです。

 

道が閉ざされているときこそ、大きなチャンスなのだそうです。

神様が、あなたには他に進む道があると用意してくださっている。

その時はそれが私たち人間には最善と思えなくても、

神様は全能であり、私たちに一番良い道を用意してくださるのだから、

その神様が導いてくださる方へ行けばいいのです。

 

私は看護学校に申し込む際、ずっと入りたいと思っていた学校がありました。

カウンセラーからも、あなたの成績だったら大丈夫、入れるよと言われていたので

申し込めば入れるのかなって思っていました。

ところが申し込みをするも受け取ったのは不合格通知。

3度申し込みましたが全て毎年不合格。

そこで、今の看護学校に申し込んだところ

一度目の申し込みで合格通知をもらい、そこへ通うことになります。

多分、その私が行きたいと思っていた学校は

私にとって行くべき学校ではなかったのでしょうね。

今となっては現在の看護学校に入ることが出来て本当によかったと思っています。

 

閉ざされているときこそが、チャンスだっていう言葉が響きました。

どんな時もイエス様が共にいてくださるからこそ、

私たちは強く前に進めるのだと思います。

 

昔の私は高慢でした。

自分の力で、一人で道を切り開いて生きているんだって思ってました。

だけど、自分でなんて、とてもではないけれど生きていけません。

イエス様が共にいてくださり、皆の祈りがあって、私は生かされている。

そのことに気づけた事に感謝です。

 

互いにおもうことをひとつにし、高ぶったおもいをいだかず、

かえって低い者たちと交わるがよい。

自分が知者だと思いあがってはならない。

ローマ書12:16

 

 

 


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息子と一緒にマフィンを作ってみました。

味はいまいち!